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2008年7月14日 (月)

何がして欲しいのか

 聖書の中で、イエスが盲人の目を開かれるという奇跡の物語がある。。

 これは有名な話してあるが、バルテマイという一人の盲人がイエス様がこの近くに来られると聞いて、大声で、「私を哀れんでください」と、他の人たちがこのように叫ぶのを止めさせようとしても、執拗に「助けてください」と叫び続けたのである。

 これを聞いて、イエスは弟子たちに、彼をここに呼ぶように命じられるのである。そして彼に言われたことばが、「何をして欲しいのか」と言われたのである。

 バルテマイは何年もの間、盲目であるということで、差別され、ののしられ、寂しい、孤独の毎日であったであろうと思われる。彼の心の呻きは不安が覆っていたことであろう。

 彼には呟きしかない、独り言しかない、誰も彼の言葉を聞いてくれるものはなかったのである。

 そこに、イエス様が来られるということを耳にしたのである。「イエス様は聞いて下さる。私の目を開いて下さる方である。」と思ったのである。

 彼は大声で、「私を哀れんで下さい」と執拗なまでに叫んだのである。

 イエスは彼の目を開かれた。「あなたの信仰があなたを救ったのだ」と言われた。

 バルテマイは目が見えないことで、自分が一体何をすればいいのかも分からなくなっていたのであろう。彼の心はまた肉体もまたどん底にあったのである。

 このような彼に、イエスは先ず何を為すべきなのか、じっくり考えさせ、またそのように考えることも出来る力があることを彼に自覚させるために、イエスは彼に、「何がして欲しいのか」と尋ねられたのである。

 彼は、イエスの言葉によって、自分の心の整理が出来たのである。彼は言った、「見えることです」と。

 彼はもはや、道端に立って、物を乞うことはしなくなり、自らの意志で、しっかりと歩むようになったことであろう。聖書は言う、「彼はイエスに従った」と。

 ところで、最近の我々はどうであろうか。自分を失い、何をしていいのか分からない人が多くなってきているのはないだろうか。我々の周囲にはバルテマイが多くいるのである。ひょっとして自分自身もバルテマイかもしれない。

 そう、イエスが我々にも、「何がして欲しいのか」と尋ねられているのである。このイエスの言葉をジックリと受け止めなくてはいけないと思う。

 「あなたは何をして欲しいのか」「私は何をしたいのか」、自らに問いかけて見ようではないか。必ず、為すべき事が示され、しっかりと自らの足で歩むことが出来るようになると思う。

 現在の親子の関係が乱れてきている。親が子の対して、真剣に、心から子供に対して、「何をして欲しいのか」「何をしたいのか」、問いかけてみることが大切ではないかと思う。親子が真剣に対峙することが、今や必要とされるのである。

 この物語をジックリ読んで見て下さい。

  新約聖 マルコによる福音書 十章 四十六~五十二節

10:46 それから、彼らはエリコにきた。そしてイエスが弟子たちや大ぜいの
         群衆と共にエリコから出かけられたとき、テマイの子、バルテマイと
         いう盲人のこじきが、道ばたにすわっていた。

10:47 ところが、ナザレのイエスだと聞いて、彼は「ダビデの子イエスよ、
         わたしをあわれんでください」と叫び出した。

10:48 多くの人々は彼をしかって黙らせようとしたが、彼はますます激しく
         叫びつづけた、「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでくださ
         い」。

10:49 イエスは立ちどまって、「彼を呼べ」と命じられた。そこで、人々はそ
          の盲人を呼んで言った、「喜べ、立て、おまえを呼んでおられる」。

10:50 そこで彼は上着を脱ぎ捨て、踊りあがってイエスのもとにきた。

10:51 イエスは彼にむかって言われた、「わたしに何をしてほしいのか」。
          その盲人は言った、「先生、見えるようになることです」。

10:52 そこでイエスは言われた、「行け、あなたの信仰があなたを救っ
          た」。すると彼は、たちまち見えるようになり、イエスに従って行っ
          た。

 

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