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2011年1月14日 (金)

井戸の水

  S・カンドウ神父の日記を読んで見たいと思う。

 1947年1月3日                   
  
  
リディ・アドルフ(仏の哲学者でベルグソンの友人)を読む。私はベルグソンの宗教哲学についての、彼女の著書の結論が好きだ。
 「われわれはみ
な井戸は持っており、われわれの身体はそん縁石である。だが多くの場合、われわれはそれを知らない。ある時は水がなくなりはしまいかと井戸の水をこぼさないようにする。けれど井戸の水が涸れた例はないのだ。われわれは井戸を持つ権利があり、その水を汲み出すことが出来るのだが、これを知らないのはわれわれ自身なのだ。井戸の水は汲めば汲むほど豊かになり、どんなに惜しみなく与えてもいつも同量の水が称えられている。つるべは使えば使うほどその働きになれ、水を汲む人にとって使いよいものになる。井戸の水は凡ての井戸に水を送る地下の水脈から汲み上げられ、水脈の清く透明な水は岩の間の清水から流れ出ている。」
 プラトンはいった。「神は、外に現れているのではなく、すべての人の心の中にある。だが、人はそのことを知らない」と。

 私たちは井戸を持っているということ、この事実を知ることは大切なことである。井戸の水は私たちの中で、清水が湧き出ており、清水をたたえているのである。ただ、私たちはこの事実を知り、この清水を飲むだけである。

 その清水は私たちが渇くことなく、いつも口にすることが出来るのである。この水を飲むならば、精気に溢れ、元気になり、愛で溢れ、心豊かになるのである。そして、永遠の命に預かることも出来るのである。

 私たちの中の井戸に、井戸の水に、泉に気が付こう。

 プランが言っているが、イエス様の言葉として、既に語られているのである。

 神の国は、実にあなたがたのただ中にある。 ルカ 17:21

     

   ヨハネ 4:13・14

4:13イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。

4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。

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コメント


スッゴク楽くて気持ちよかった!
オレも相手の子もむっちゃ一心不乱で月要往復してたからな!
ガンバった分、身入りもパーフェクトゥだったぜ!!
http://0nf8s2c.neep.houtyu.com/

投稿: これやんないやつアホだろ | 2011年1月15日 (土) 04時25分

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