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2011年6月14日 (火)

 遠藤周作の言葉です。
  

  魅力のあるもの、キレイな花に心を惹かれるのは、誰でも出来る。だけど、色あせたものを捨てないのは努力がいる。色のあせるとき、本当の愛情が生まれる。

 遠藤周作の作品を読んだのはいつのことであっただろうか。彼が亡くなってから、彼の作品を読んだことがないような気がします。彼が存命中はいろいろな作品を読んだものです。彼がシアリアスな面とユーモアたっぷりの面の両面を備えているところがいいのではないか。

 彼の茶目っ気な所にも、一つの真理が潜んでいます。彼の著書は私の愛読書になっています。

 それはともかく、人間をはじめ、なにものでも色あせていく、これは一つの定めであって、誰も避けることが出来ないことであります。

 私たちはものが色あせていくと、それに関心がなくなったり、興味を示さなくなったりしがちであります。しかしそれならば、普通の人間であります。

 遠藤周作が言うように、色あせたのを捨てない、盛りの時と同じような愛情を注いで行く。先ほど色あせたものに関心を示さなくなる、これは普通の人間といいましたが、いや、色あせたものにも変わらぬ愛情を持ち続けること、これが普通の人間の属性であって欲しいと思います。属性というのはちょっと大げさかもしれませんが、変わらぬ愛情を持ち続ける、そんな人間でありたいものです。

 遠藤周作の言う愛情は、ちょっとアガペーに近いかと思います。

 愛は大きく二つに分けることが出来ます。
一つは、エロスと言って、相手に価値があるから愛するという愛であります。価値がなくなったら、色あせてしまったら、もう愛情はなくなってしまうのです。これがエロスの愛です。

 もう一つの愛は、アガペーの愛と言って、相手に価値がなくなっても、無条件で愛し続ける愛であります。色あせてしまっても、愛し続けるのです。

 このアガペーの愛は、神の愛であって、神が人間救済のために、独り子である、イエス・キリストを十字架に架けられた愛なのであります。

 私たち人間は弱い、先ずは色あせてしまっても捨てない愛情を持とうではありませんか。更に、価値がなくても、その人を、そのものを愛するという愛を抱くようにしようではありませんか。

 神の愛ってどんな愛ということを求めた見てもいいのではないでしょうか。

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