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2011年6月 6日 (月)

短気

 短気であるために、大分損をした言う人は案外多いのではないだろうか。つい怒ってします。我慢が出来ないのである。しかし短気を出して怒って、得をしたためしはない。このことは誰にでも言えることではないかと思います。

 昔から、「成らぬ堪忍するが堪忍」ということ諺があります。意味は、ご存知と思いますが、堪忍できないようなことを堪忍するのが本当の堪忍ということです。

 このような諺があるということは、我慢できない、堪忍できない、直ぐに怒りを発してしまう人たちが多いということであります。

 それが身近にいれば、いるほど、身近にいる人に短気を起こしてしまうのであります。

 短気を起こすこと、これは慎まなくてはならない。

聖書に次のように書いてあります。

  箴言 14章17節     15章18節

14:17 怒りやすい者は愚かなことを行い、賢い者は忍耐
    強い。

15:18 憤りやすい者は争いをおこし、怒りをおそくする者
    は争いをとどめる。

昔の賢者が語った言葉であるが、これは今の世にも通用する言葉であります。

 短気な人ほど、自制心に乏しく、つい怒ってしまって、愚かなことをしでかすのであります。「短気は損気」とも言われ、全くその通りであります。短気は起こせば結局は自分に跳ね返ってきて、自分は損するのであります。

 堪忍するとは愛することではないだろうか。

 聖書にも、「愛はすべてを忍び、すべてを耐える。」 
        コリント第一の手紙 十三章 七節

 いや、愛の十三章をすべて紹介しましょう。
         
       コリント人への第一の手紙 十三章

13:1 たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を
        語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかまし
       
い鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。

13:2 たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆ
       る奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山
       を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなけ
       れば、わたしは無に等しい。

13:3 たといまた、わたしが自分の全財産を人に施して
       も、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、
       もし愛がなければ、いっさいは無益である。

13:4 愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことを
       しない。愛は高ぶらない、誇らない。

13:5 不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだ
       たない、恨みをいだかない。

13:6 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。

13:7 そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを
       望み、すべてを耐える。

13:8 愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言は
       すたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。

13:9 なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であ
        り、預言するところも一部分にすぎない。

13:10 全きものが来る時には、部分的なものはすた
         れる。

13:11 わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らし
         く語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考え
         ていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らし
         いことを捨ててしまった。

13:12 わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼ
         ろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを
         合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、
         今は一部分にすぎない。しかしその時には、わ
         たしが完全に知られているように、完全に知る
         であろう。

13:13 このように、いつまでも存続するものは、信仰と希
        望と愛と、この三つである。このうちで最も大いな
        るものは、愛である。

 短気を起こさないようにしましょう!
短気を起こさず、更には堪忍するように、もし過ちならば許すところまで自分を持っていくようにしましょう。

  

 

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