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2011年7月 1日 (金)

短時間でも

  私たちには善を為す力があります。これは神様からの賜物いであります。

しかし折角の「善を為す力」を何時、どのようにはっきしたらいいのかよくわからない人が非常に多いと多いと思います。そのため、折角の「善を為す力」という賜物を使う機会を失ってしまうのであります。

 ここにカール・ヒルティが認めた文があります。この文を読んでみましょう。

  一分か二分かのどんなわずかな時間でも、なお何かいいことや有益なことに使えるものである。最大の決心や行為もごくわずかな時間しか要しないことがよくあるものだ。そして単に時間が足りないという口実で決して善事を延ばしてはならない。善を為す全く同じ機会が二度と訪れることは決してないことが多い。しかし、何かはっきりせず、急を要しない時は、先へ延ばすがよい。そうすればしばしば、ことがはっきりして、それに対する勇気がそれ以上あれこれ思いあぐねずとも、全くひとりでにやって来る。人間の精神は無意識でも働くものであり、行動するにも、正しい行動と言う確信によってのみせねばならない。
    カー
ル・ヒルティ
       眠られぬ夜のために Ⅱ 二月二十九日

 そうです、善いことは短時間でも、時間さえあれば、するという意思さえあれば、その善いことをすることが出来るのです。

 わたしたちはその善を為す時間を、タトへ短くてもその時間を逃してはならないのであります。その点、善を為す機会を絶えず逃さないようにしなくてはならないのであります。

 もう一人の人の言葉も読んで見ましょう。

   善き事を思へるは善き事を思へるに過ぎず、悪しき事を思へるは悪しきことを為したるなり。
       長谷川 如是閑

 善いことは思うだけでは駄目なのであって、それはただの思いに過ぎないのであります。一方、悪いことは思うだけで悪を行ったことになるのなるのであります。非常に厳しい言葉であります。

 私たちは善いことが思いついたら、即座に実行すること、これがとても大切なことなのであります。機会を失ってはならないのです。よいことを思うだけでは、なんにもしないのと同じなのです。案外それ以上に非難されることかもしれないです。

 悪いことは心の中で思っただけでも、悪いことをしたのと同じなのです。

 今回は善を為す、悪をなすということについて今一度考えて見ましょう。

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