2009年2月12日 (木)

山上の垂訓

 今回はイエス・キリストの山上の垂訓といわれるものを記しておきたいと思う。

 この箇所はイエスの教え、垂訓と言うことであるが、しかし実際はイエスの告白と見ていいと思う。イエス自らが経験したことであり、その告白である。その告白を目で見、耳を傾けて行きたいと思う。

 今日の箇所は八福とも言われているところである。

           山上の垂訓(告白)

5:1 イエスはこの群衆を見て、山に登り、座につかれる
      と、弟子たちがみもとに近寄ってきた。

5:2 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。
    

5:3 「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は
      彼らのものである。

5:4 悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰
      められるであろう。

5:5 柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受け
   つぐであろう。

5:6 義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、
   彼らは飽き足りるようになるであろう。

5:7 あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあ
   われみを受けるであろう。

5:8 心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見
   るであろう。

5:9 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは
   神の子と呼ばれるであろう。

5:10 義のために迫害されてきた人たちは、さいわいで
    ある、天国は彼らのものである。

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2009年1月12日 (月)

この地上の最も偉大な主人

 前回同様、カール・ヒルティーの「眠られぬ夜」の三月三十日を紐解いて見たいと思う。

 われわれも、巨人クリストフォルスのように、この地上の最も偉大な主人にだけ仕えようと固く決心しなければならない。しかし現代では、そのような主人とは、物質的進歩と享楽であろうか、科学であろうか、芸術であろうか、祖国とその代表者(国民あるいは君主)であろうか、人道であろうか、教会であろうか、それとも神とキリストであろうか。

 これについては、あなた自ら決定し、その上で正しく、また心を尽くし精神を尽くして、それに仕えなさい。

 注: クリストフォルスについて
   カトリックの十四救難聖人の一人。
   伝説によれば、彼は渡し守をしながら、この世で最大の主人を求めている間に、幼児の姿をしたキリストを、それと知らずに背負って川を渡してやり、その途中に川の水で洗礼を受けて彼に従ったという。

 ヒルティーの語る通りであると思う。
私たちは、この地上で最も偉大な主人について、決断しなくてはいけない時が来る。そんなに待ってもいられないようである。

 私は神とキリストを最大の主人をして、仕えることを決心した。これからもズッと従って行くことを決心した。

 ヒルティーの言葉に耳を傾けてよく聴いて見ようではありませんか。

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2006年8月31日 (木)

成功者と成幸者

  以前「成功者と成幸者」という本を読む。なかなか面白く、興味があり、更に有益ではないかなあと思い一読する。成功者との対比するものとして、成幸者を持ってきたところが面白い。読んでいく内に、なるほどと思わず、膝を叩くような事が書かれている。

 こんなことが書いてある。
     成功者はブランドが好きで、成幸者は自分がブランドである。
     成功者は得る事に興味があり、成幸者は与える事に興味がある。
     成功者は奪い合い、成幸者は分かち合う。
     成功者は人生を戦いと考え、成幸者は人生を学びだと考える。
     成功者は自分のお陰と思い、成幸者はみんなのお陰と思う。

 どうです、言いえて妙でしょう。上記のような事が書かれており、それぞれの言葉に対して一文が記されている。心を打つ本である。

 著者は上村光弼氏、発行所はPHP研究所です。また続きを書いてみたいと思いますが、興味のある方は一読あれ。

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