2009年7月14日 (火)

詩篇二十三篇

 今回は詩篇からダビデの歌を、私の歌としたい。

    詩篇 二十三篇

23:1 主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいこ
        とがない。

23:2 主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわ
        に伴われる。

23:3 主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわ
        たしを正しい道に導かれる。

23:4 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわい
        を恐れません。あなたがわたしと共におられるか
        らです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを
        慰めます。

23:5 あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設
        け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの
        杯はあふれます。

23:6 わたしの生きているかぎりは/必ず恵みといつく
        しみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮
        に住むでしょう。

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2009年6月15日 (月)

中庸

 中庸とは、人間にとっては大きな徳目の一つである。

 確かにいろいろな生き方、考え方がある。その一つが中庸である。

 中庸とは、考え方・行動などが一つの立場に偏らず中正であるということである。この考え方は、英国のS・スマイルの作品、「西国立志編」の中でよく紹介されていたようである。

   「中庸を得る」とか「中庸にして過甚ならず」とか、
                      (西国立志編)

 ちなみに、西国立志編とは
 
 英国のS・スマイルの著で、西欧の歴史上の人物約300数十人の成功談を語った本であるが、日本でも非常に幅広く読まれたものである。個人主義も紹介された。特に明治初期の青年たちに大きな影響を及ぼした。 訳者は中村正直である。

 タルムードの中から

 「イスラエルでは、ヘブライ語のアルファベットを子供に教えるときは、一つ一つのアルファベットに意味を持たせている。ヘブライ語で「真実」という言葉は、最初のヘブライ語のアルファベットと最後のアルファベットの文字と、ちょうど中間の文字も使ってある。ということは、真実というのはユダヤ人にとっては、左のものも正しく、右のものも正しく、真ん中のものも正しいということである。」

 またこういう話もある。

 「ある道を進んでいた軍隊があった。道の右側には雪が降り、氷が張っていた。左側は火の海だった。この軍隊がもし右へ行けば凍えて、左に行けば焼けてしまう。真ん中は暖かさと涼しさが適当に得られる道だった。」

 すべての人に、中庸の精神を持てとか言うつもりは毛頭ないけれども、自分が今、生きている世界、自分の周囲には、このような考え方をしている人たちがいるのだということの認識は必要であろう。

 私個人で言うならば、中庸の精神というような立派なものではないが、生き方としては中庸に非常に近いものが有ろうかと思う。

 今の、北朝鮮にチョッと分かって欲しいものである。彼等は右でも左でもなく、真ん中でもなく、孤立の道を歩んでいるようである。どうしてああまで頑ななのか、チョッとやそっとで理解出来そうにもない。

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